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ヘッセ「車輪の下で」


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この痛みを誰もが一度は感じたことがあるはずだ。周りの期待に応えられない。どこか社会に馴染めない。もがいているのに思うようにいかない。なんで自分だけ。どうしてこうなってしまったんだろう。僕たちは能天気であどけない顔をしながらも、裏ではそんな絶え間ない苦しみを必死に押し込めていたはずだ。「頑張って」「信じてるよ」。そんな愛情と信頼の代名詞のような言葉を掛けられる度、優しさでコーティングされた鋭利なナイフを首に押し付けられているような息苦しさと恐怖に駆られたはずだ。でも大体の人間は多少の差はあれどそれに応え、"社会"に適合していく。違和感と不安は脚色され、素敵な思い出として、または青春にかかる一過性の流行り病として忘れ去られてしまう。だが一部の人間は期待に応えられないまま、社会から遠ざけられ、自身の無能さを責めながら生きていくのだ。この作品はそんな"社会不適合者"とされる人間を描く作品だ。

我々は常に国家と学校が、毎年出現する何人かの価値ある深遠な精神を、たたき殺し根元で折り取ろうと息を切らして努力している様子を目撃するのである。


この作品で語られているのは、過度な期待を押し付けて子供達の個性を摘み取る大人達と、多感な時期に勉強させ自由な時間を奪う教育体系への痛烈な批判だろう。この作品はヘッセの半自伝的作品であるため、主人公の情動や筆者の怒りが迫真的な筆致で描かれている。そのためページを捲る度、そして沼に足を捕らわれるかのごとくハンスがゆっくりと転落していくのを見る度、ヒリヒリとした苦しみと焦りが伝染してくる。この話は青春小説というよりホラーだ。私たちは、社会という怪物がいたいけな少年を食い尽くしてしまう様子を憮然と眺めることしかできない。

二人の早熟な少年はこの友情において、期待に満ちた恥じらいとともに、初恋のほのかな秘密のようなものを知らず知らず味わっていた。

だがハンスには不幸ばかりが訪れる訳ではない。ハンスは神学校で、反抗的な性格ながらも天才的な才能を持つ少年ハイルナーと出会う。作中でハンスと親密な友情を結ぶ彼にもまた、ヘッセの少年時代が投影されている。正反対ながらも"傷つきやすい"という点で似通った彼らは、瞬く間に惹かれ合う。それは友情というよりも、共依存いう形容詞が似合う歪な関係であるが、それでもなお彼らの間には無垢な魂が共鳴し合ったゆえの神聖さが漂っている。結局、ハイルナーは彼を置いて神学校から逃げ出してしまい、彼らの友情は刹那的なものとなってしまう。だが作中描かれる友情の煌めきは底抜けに美しく、離れ離れになった後も未来を照らしてくれるような、微かな救いとなっている。

その間に陽は高く昇り、上の堰のところでは水泡が雪のように白く光っていた。水面では暖かい空気が揺らめき、見上げればムック山の上にも手のひらくらいの大きさのまばゆい雲があった。

叙情的で美しい情景描写とハンスの戸惑いながら揺れ動く心情の描写が、この作品の残酷さに拍車をかけている。いや、情景描写というのは間違いかもしれない。ハンスがどんな絶望の淵に立っていても、自然は限りなく尊く、美しいものとして描写されている。自然はただそこに"ある"だけなのだ。だが神学校を辞めされられたハンスの目に美しい自然は写らない。以前あんなに自然を愛していた彼は悩みや苦しみに囚われ、眼前に広がる素晴らしい世界の存在にさえも気づくことができなくなる程追い詰められてしまうのだ。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

同じ青春小説として最も有名な作品はこの「ライ麦畑でつかまえて」だろう。この作品は、学校を辞めさせられた主人公ホールデンが家出をして旅をするという物語であり、「車輪の下」と「ライ麦畑でつかまえて」はどちらも、繊細な性格のため社会からドロップアウトせざるを得なかった主人公の視点を通して、"社会"や"大人"の欺瞞を描く作品だ。2人は同じ境遇、同じ年代であり、同じ感受性の豊かさを持っているが、対局な性格故に真逆の結末を迎えることになる。これらの作品を見ると、社会において自分の感情と向き合い素直に生きていくことの難しさと、間違いだと分かっていてもどこかで適応しないと生きていけないやるせなさを感じる。だがやはりこの2つの作品を比べると、「逃げる」という選択肢を選ぶことでハンスは救われたのではないかというもしもを思い描いてしまう。

物語の終盤、酔ったハンスが川に流されてしまう結末は彼が自然以外に居場所を見つけられなかったことを表している。労働者を見下すようなプライドを幼少期に植え付けられたせいで、機械工としての生活という最後の希望さえも掴めずに彼は死んでしまう。あまりにも重く救われない作品だが、それゆえに私たちの心に深く沈殿し、生きていく上での軸ともなり得る作品だと思う。世渡りが上手な"普通"の人よりも、生きていくことにどこか違和感を感じてしまう"変わった"人に強くお勧めしたい。