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田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」

この本は"男と女"を八編の短編で描く恋愛小説だ。彼らの関係からは恋愛というより情愛という言葉が似合うような生々しさを感じる。私は田辺聖子があまり得意ではない。彼女の作品では常に、鼻にツンとつくような派手な香水の香りが充満しているような気がして怖気づいてしまう。なんだかいけないものを見てるようで、そしてその濃厚な雰囲気に気を取られているうちに自分まで取り込まれてしまいそうな魔力があるのだ。田辺聖子を楽しむという行為はきっと、円熟した大人にしかできないものなのだろう。

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

そんな大人の色香を漂わせる本書のなかで、ひときわ異彩を放っている話がある。それは、表題作でもある「ジョゼと虎と魚たち」だ。この話は足が動かない女の子・ジョゼと、普通の大学生の恒夫の物語だ。25ページしかない中で、2人の感情の機微を繊細に捉え、完成されたひとつの物語として昇華している。一歩間違えれば、お涙頂戴感や押し付けがましさを感じさせて、凡作になってしまう難しいテーマを見事に書ききる田辺聖子の筆力には感嘆せざるを得ない。

ジョゼのいうことは嘘というより願望で、夢で、それは現実とは別の次元で、厳然とジョゼには存在しているのだ。

ジョゼは常に世間から遮絶されて生きてきた。「ややこしい」という理由で父親とその女に捨てられ、祖母は彼女の存在を人から隠そうと外出を許してくれない。そんな彼女が外の世界を知るための手段は活字とテレビしかないのだ。それゆえに父との数少ない思い出である野球観戦のことを嬉々として語るとき、テレビで見た情景を自分の体験だと思い込んでしまっている。彼女にとって現実の出来事と空想の出来事はごっちゃになって、同じものとして存在しているのだ。そんな彼女の記憶の危うさが、夢か現実か分からなくなってしまうような詩的な世界を形づくっている。

そんな浮世離れした彼女の前に現れたのが、普通の大学生である恒夫だ。彼は"普通"ゆえに、ジョゼを障害者ではなく、ひとりの人間、ひとりの女の子として扱い、そのように接する。だから軽口も叩くし、とりとめのない話もする。恋だってする。それは本やテレビという作られた世界でしか、"普通"を味わうことができなかったジョゼにとってかけがえのないものだったのだ。恒夫が障害者に精通しているボランティア青年だったら、この物語は始まらなかっただろう。

そして彼女は恒夫を通して初めて生身で世界と触れ合う。「一番こわいものが見てみたかった」と言って虎を見たり、恒夫に連れられて水族館に行ったりもする。そうして彼女の足になり、まるで魔法のように世界を広げてくれる恒夫にジョゼが抱く感情は痛々しいほど純粋なものだ。

恒夫はいつジョゼから去るか分からないが、傍にいる限りは幸福で、それでいいとジョゼは思う。そしてジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった。

幸せと死というおおよそ似つかわしくないそのものをイコールで結んでしまう。そんな彼女の心情からは毅然とした強さと底知れない恐ろしさを感じる。人間の深遠を描くようなこのセリフからは田辺聖子の凄みが伝わってくるようだ。この作品はあまりにも人間の深みを描きすぎて、読む側の人生経験が問われる試金石的な作品だと思う。自分は若すぎて表面的な理解しかできなかった。時が経ったらもう一度読みたい作品。